何故日本政府の難民認定は欧米諸国より極端に少ないのか。


asahi.com:ミャンマー人の難民不認定処分、取り消す判決 東京地裁 - 社会

ミャンマービルマ)国籍の東京都新宿区に住む男性(40)が国を相手に起こした訴訟で、東京地裁(定塚誠裁判長)は31日、男性を難民と認めなかった国の処分を取り消す判決を言い渡した。「反政府組織の日本支部のナンバー2としてインターネット上で名前が公表されており、帰国すれば迫害の対象となる可能性が高い」と判断した。

 男性は89年に日本に入国し、在留期限が過ぎても残留。04年になって難民認定を申請したが認められず、退去強制処分も受けた。判決は、男性が属する組織をミャンマー政府が敵視し、迫害を加えようとしている事情を重視。「日本支部を設立した03年11月以降、難民に当たるのは明らか」と述べた。


短い記事だがとても重要。欧米諸国では年間数万人という数の難民認定をしているにもかかわらず、日本では年間多くて二十数人、少ないときは二桁に達しないこともあるという。そして以下のような実例もある。2007年8月19日の東京新聞より。

日本、800人申請も認定ゼロ

 日本で難民認定を求めるトルコ国籍クルド人への冷遇が続いている。もともと日本の難民認定数は他先進国と比べてけた違いに少なく、国際的な批判を浴びている。だが、それにしても申請者の二割弱を占めるクルド人が、一九八一年に日本が国連難民条約に加入して以来、難民認定されたケースが全くないというのは極めて不可解だ。日本がクルド人に背中を向け続ける訳は―。(鈴木伸幸)

本国へ強制送還 「旗」の写真で拘束

 「なぜ、難民として認めてくれないのか…。実際にトルコでは収容所に入れられ、暴力行為も受けたのに」―。クルド人男性(二三)は頭を抱えた。初めて日本を訪れたのは二〇〇二年十二月。難民申請したが、法務省入国管理局から「トルコで迫害を受けることはないから帰りなさい」と説得され、翌〇五年三月、強制送還に応じた。
 ところが、イスタンブールの空港で、待ちかまえていた現地警察に拘束された。所持品の写真に「『クルドの旗』が映っていた」というのがその理由だ。その旗は一般のクルド人に「クルドの国ができたときに使う旗」と認識されていると同時に、クルド人独立国家を目指す非合法武装組織「クルド労働者党PKK)」のシンボルにも通じる。
 そうした複雑な事情もあるが、写真の所持だけで身柄拘束というのは「国際基準からして、明らかな迫害」(アムネスティ・インターナショナル日本)。〇五年八月に保釈された男性は身の危険を感じ、三カ月後に偽名を使って日本に再入国、難民認定を申請したが二年近くも判断を保留され続けている。
 過去に難民申請したクルド人には、拷問を受けたと推測される傷跡を持った人もいて、人道的配慮から在留が許可されたことはあった。だが、これまでに難民認定されたケースはない。入管によると、難民認定制度ができて以来、昨年末までの二十五年間の認定率は約8%で四百十人が認定された。その間のトルコ国籍クルド人の申請者は約八百人いて、単純計算なら六十人以上が認定されてもおかしくないはずなのだが…。
 「認定するかどうかを判断するのが難民認定制度のはずだけれど、クルド人については制度にすら乗せてもらえていないように感じる」。クルド難民弁護団の大橋毅事務局長はこう表現する。「これでは難民としての認定基準うんぬんという話にもならない」
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると「〇六年に世界で難民申請したトルコ人の数は約一万六千人で、約二千人が認定された。認定率は約13%」。これと比較しても日本の排他性は際だっている。
 過去の申請者には、UNHCRが事務所規定により難民とした者もいたが、日本は認めないため、「カナダやニュージーランドが手を差し伸べ、難民として受け入れたケースもあり、先進国として情けない状況」(アムネスティ・インターナショナル日本)となっている。
 もっとも、日本政府も〇二年五月の中国・瀋陽の日本総領事館侵入連行事件で国際社会から批判を浴びたことなどをきっかけに、〇五年五月に入管難民法を改正。同年の認定者は前年の三倍の四十六人、よく〇六年も三十四人で、UNHCR駐日代表の滝沢三郎氏も「日本の制度は総合的に評価すると改善している。それは認めるべき」と話している。だが、その恩恵はクルド人には及んでいない。

トルコとの対テロ協力優先か

 トルコ国籍クルド人への「難民認定ゼロ」が続いていることに、入管当局は「個別案件にはコメントしない」とする一方、恣意的な認定は否定する。だが、クルド人難民認定を支援する関係者たちは「日本とトルコの友好関係や両国のテロ対策での協力姿勢が背景にあるのでは」と声をそろえる。
 トルコ当局は、人口の約14%を占めるクルド人独立運動に敏感。特に前出のPKKに対しては、壊滅に向けて軍事的圧力をかけている。同じ親米国家としてテロ対策で国際協力する日本が「トルコのクルド人対策に過剰に反応してしまい『クルド人難民認定しない』と政策判断した可能性」が指摘されている。
 例えば、クルド人問題に詳しいフリーライターの中島由佳利氏によれば、二〇〇三年に日本の参院議員がトルコを訪問した際に、トルコ当局者は民間団体「クルディスタン&日本友好協会(埼玉県蕨市)」について「PKKの日本支部ができた。閉鎖してほしい」と要求。〇六年三月のイスタンブールでの首脳会談でも、トルコのエルドアン首相が小泉純一郎首相に同協会について閉鎖を求めたとされる。
 いずれの際にも、日本政府は最終的に「問題なし」と判断したが、そうした進言に影響されたか、今年六月には単なるオーバーステイで拘束された複数のクルド人に対し、治安当局がPKKとの関係をほのめかし、それが報じられる騒動があった。クルド人の自宅にPKK党首の写真などがあったことは事実だが「思想信条に共感しているだけで、具体的な関係はなかったこと」は、事件後には明らかになっている。

年間数百人単位 EU諸国は認定

 ただ、こうしたトルコにおけるクルド人問題について、日本以外の多くの先進国は強く批判している。トルコが加盟を目指す欧州連合EU)も問題視しているため、トルコは禁止していたクルド語による教育や放送に寛容姿勢を取るなどしているが、クルド人迫害の実態はそう簡単に変わっていない。実際、フランスやドイツ、スイスなどのEU諸国は、年間に数百人単位でクルド人を難民として認定している。

判断「政府から独立組織を」

 前出の大橋氏は「クルド難民の認定数を国際的に比較して、『日本は政策的判断が難民認定に影響している』と思われてしまうような状況は、それ自体が問題。本来、難民問題は人権問題で政策的判断に影響されてはいけない」と批判。日本では不法入国を取り締まる入管が、その一方で難民の認定、保護という相反する役目を負っている問題を指摘する。
 「難民認定の判断は、政府から独立した組織がすべき。テロ対策では英国やドイツ、フランスなどEU諸国の方が、日本より厳しい対策を取っているが、その一方で政府から独立した形で難民認定をしているから、クルド難民も認められる」と大橋氏。「日本とトルコの両政府が良好な関係にあれば、日本政府の組織の入管が政府の方針と無関係でいられるとは思えない」と問題提起する。
 難民支援協会(東京都新宿区)が難民認定制度のモデルとして高く評価しているニュージーランドでも、やはり認定機関の高い独立性が特徴だ。
 日本の難民認定制度に一定の評価を与えるUNHCRも、認定機関の独立性には懸念を持つ。「一気に独立させるのは難しいかもしれないが、組織改変で独立性を高める工夫はできるはず」と前出の滝沢氏は提言する。「改正された入管難民法は、付帯決議で三年をめどに見直すことになっている。それが来年。難民認定は『国家の品格』にかかわる問題。クルド人問題も含め、新しい一歩のタイミングなるよう期待したい」

デスクメモ

 昨年、ノーベル文学賞を受賞したトルコの作家オルハン・パムク氏は、母国がクルド人アルメニア人に対して行った虐殺を「認めるべきだ」と発言したために国家侮辱罪で起訴され、袋だたきにあった。この問題は、それほど根が深い。だからなおさら難民認定では「人権」のみを見つめるべきなのだろう。(充)

トルコ国籍クルド人

 第一次世界大戦までクルド人オスマン帝国の領内で生活していたが、同対戦で敗れたオスマン帝国の領土がトルコ、イラクなどに分断されクルド人居住区も国境で分断された。トルコでは南東部に1000万人以上のクルド人が生活。トルコでは少数民族として迫害を受け、分離独立運動も起きている。


国際的なリーターシップ、国連の常任理事国入りを目指す日本ならば、少なくとも欧米諸国並みの難民認定を行うべきではないか。