訃報:広島原爆投下のエノラ・ゲイ機長、ティベッツ氏死去


http://mainichi.jp/photo/archive/news/2007/11/02/20071102k0000m030187000c.html

【ワシントン和田浩明】広島に原子爆弾を投下した米国のB29爆撃機エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長が1日朝(日本時間同日夜)、米中西部オハイオ州コロンバスの自宅で死去した。92歳だった。友人によると、3カ月前から健康状態が悪化し老衰も進んでいた。

 ティベッツ氏は1915年に米中西部イリノイ州クインシーで生まれた。陸軍士官学校を経て大学では医学を志したが、37年に陸軍航空隊に入隊。第二次大戦中は欧州や北アフリカ戦線で爆撃任務に就き、43年から新型機だったB29のテストを担当し飛行経験を蓄積した。

 44年に原爆開発の「マンハッタン計画」に関与して、原爆の運搬に必要な機体の変更や部隊の訓練を担当。当時のトルーマン大統領の原爆投下決定を受け、太平洋のテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイの機長として45年8月6日、人類史上初の原爆投下を広島に行った。

 戦後は60年代に准将で退役、オハイオ州で航空会社の経営に携わるなどした。

 友人のジェリー・ニューハウス氏によるとティベッツ氏は近年、原爆投下について多くは語らなかったが「後悔しているか」などと問われると「日本本土侵攻の必要がなくなり、多くの日本人と米国人の生命を救った」と話していた。

 ティベッツ氏は生前、抗議行動が行われるのを嫌って、葬儀は行わず遺体も埋葬せずに、「上空を飛んでいると平和な気持ちになれる」と大西洋に飛行機から遺灰をまくよう求めていたという。

同氏は生前、原爆投下の正当性を疑っておらず、「投下は戦争を終結させるためだった」「(投下された原爆は)大きな戦争を抑止してきた」と朝日新聞の取材に語っていた。原爆投下60年の05年にも地元紙の取材に「(任務を受け)人々を殺すことになると知っていたが、できるだけ早く(戦争の)大量殺害を終わらせるため任務を全うすることしか頭になかった」「(後悔は)とんでもない」と答えている。


ポール・ティベッツ - Wikipedia


原爆投下を実際に行った爆撃機の搭乗員たちを責めて悔恨の念を引き出したとしても何もならないだろう。彼らは純粋に軍人の職務としての義務を果たしただけなのだ。たとえ何かしらの謝罪の言葉を得られたとしても、それは被爆者の人たちをはじめ、私たち日本人にとってはただの自己満足でしかないではない。むしろ考えるべきことは、「投下は戦争を終結させるためだった」「(投下された原爆は)大きな戦争を抑止してきた」と人間に語らせた当時の状況、今なお綿々と続いている「問題解決方法としての暴力」の肯定という思考だ。


ああ、でもこんなこともあったな。

In 1976, he was criticized for re-enacting the bombing during an appearance at a Harlingen, Texas, air show. As he flew a B-29 Superfortress over the show, a bomb set off on the runway below created a mushroom cloud.

He said the display "was not intended to insult anybody," but the Japanese were outraged. The U.S. government later issued a formal apology.

(拙訳)
1976年、彼はテキサス州ハーリンゲンで行われた航空ショウに出演した際、原爆の投下を再現したことで非難を浴びた。そのショウで彼はB−29を操縦し作り物の原爆を作り物のきのこ雲に投下してみせたのである。彼は「これは誰も侮辱するものでない」と言ったが、日本人は激怒、のちに米政府は公式に謝罪した。