あらためて長井健司さんの尊い死に哀悼の気持ちを

三連休の最後、午後から雨が降ると天気予報は言っていたが、この住んでいる周辺では今だ降っていない。曇天で寒い。秋というよりもう初冬だ。
テレビで長井さんの告別式の様子を見る。雨の中、400人ほどの人が集まったという。ほんの30秒か1分ほどの短いものだったけれど、故人を忍ぶ雰囲気が伝わる。彼の死のニュースを聞いてから10日、まだそのショックは重く心の中に沈んでいる。世間では射殺事件が発生した当初より報道もビルマ情勢も含め、大分減ったし、彼の死に対して「危険な所に何でわざわざ出かけるんだ」「そんなところにいったのだから死んでもしかたがない。」といった人ごとのような冷たい声も聞こえる。
彼の死の瞬間の映像を見たとき、それは6年前の9・11世界貿易センタービルにジャンボ機が突っ込んだのをライブで見たとき以来の、それと同じぐらいのショックだった。ビルマ兵に至近距離から一発で撃たれ、倒れながらもビデオを撮影しようとする姿に、これが軍事独裁政権による市民弾圧の中で起こった事件というより、人間ってこんなに簡単に逝っちゃうものなんだなぁ、と心の中がすーと凍り付いていくようだった。たぶんそれは私自身が彼と年齢が近く、最近死というものを身近に感じ始めていたからかもしれない。のちの検死報告で銃撃されてから絶命するまでごく短い時間だったという。その短い時間に「ああ、俺はいま死んでいくのか」と思っていたのか、どうかわからないけれども、その短い瞬間の彼の無念が、私の心に突き刺さったからかもしれない。
「誰も行かない所に誰かが行かなければならない」
50歳、独身。結婚歴無し。故郷に老いた両親。紛争地帯へ取材に行くつど、わざわざ両親には行き先を伝えて行かなかったという。仕事と結婚した男。というか、この日本という閉塞した、平々凡々とした空気の中で生きていくよりも、あえて危険な場所に赴き、ジャーナリストとしての夢、何か大きいスクープを常に追いかけた男。そこにはけっしてジャーナリズムの理想が常に頭の中にあったのではなく、危険と隣り合わせ出ないと生きていけない、どうしようもない性のようなものが長井さんにはあったのではないか、と思う。昨日の報道特集のなかで、長井さんはいみじくもこういっている。ヤンゴンの街頭で兵士が発砲しそうなので、ガイドが危険だからこの場を去りましょうというと、
「大丈夫。俺はイラクにもアフガニスタンにもいた。何でそういう事をいうのだ。俺は一人で何処にでも行ける。」結局。ガイドと別れ、その24時間後には兵士によって射殺された。
しかしだからといって、上で書いたような「死んでも仕方がなかった」という人ごとのような冷たい事をいうつもりはない。逆に彼のような生き方に憧れがあるのかもしれない。彼が死ぬまで、追い続けた真実を今まで何も知らなかった事を恥じているのかもしれない。彼のようなジャーナリストがいなければ、これまでどれだけの不正や暴力や弾圧が隠され続けてきたことだろう。彼らの犠牲の上に様々な真実が暴かれている事を私たちは知らなければならないし、分からないとか、知らないとかいうのは、暴論かもしれないが、それだけでも罪だと思うのである。

あらためて長井健司さんの尊い死に哀悼の気持ちを捧げます。

追記

以下、メディアによる報道。
BBC NEWS | Asia-Pacific | Japan mourns dead Burma reporter
長井さんに最後の別れ - MSN産経ニュース
葬儀の模様。
高世仁の「諸悪莫作」日記 - 長井健司さんの葬儀にて