ミャンマー人 相次ぐ難民認定破棄

ミャンマー人 相次ぐ難民認定破棄 - THEIN NAINGさん家族の在留を求める会 blog

 10月12日の東京新聞の記事より。抗議ファックスはこちらから送れます。

 http://chechennews.org/dl/20071014court.pdf

 ミャンマー情勢が緊迫し、世界の耳目を集める中、東京高裁で九月下旬、先進国としての国際認識を疑われかねない不可解な判決が二件相次いだ。いずれも東京地裁で難民と認定されていたミャンマー人に対し、帰国しても迫害を受ける可能性が低いとして一審判決を破棄したものだ。丸腰の外国人ジャーナリストを銃殺する軍政下に、民主化活動を続けるミャンマー人を戻しても構わないとする高裁の国際センスとは―。(鈴木伸幸)
武力制圧下「迫害の恐れなし」

 一九八八年八月にミャンマー中部のマグウェで民主化デモに参加し、当局に二度、身柄を拘束され、拷問も受けたゾウモウさん(仮名)の右足のかかとには毒ヘビにかまれたあとと、毒を吸い出すために十字に刃物で切ったあとが残る。正確には、かまれたのではない、自らかませたあとだ。

 「民主化活動をしていた見せしめに、軍に強制徴用された。部隊の最前列で地雷原を歩かされたりした。『このままではいずれ作戦行動中の事故とでもカモフラージュされて殺される』と感じた。そこで、部隊から逃げるためにイチかバチか毒ヘビに足をかませた」という。部隊からは置き去りにされ、幸運にも地元民に保護されて応急の解毒処理を受け、一命を取り留めた。九一年六月だった。

 ゾウモウさんは「このまま、国にとどまっていては危険」と考え、ブローカーに依頼して、裏の手口でパスポート(旅券)を入手したという。同年十一月にバンコクを経由して日本に入国。二〇〇三年八月、東京入国管理局難民認定を申請して、翌〇四年三月に不認定の処分を受けたが、東京地裁に提訴し今年三月、難民と認められていた。

 それが九月二十六日の東京高裁でひっくり返された。これまでに難民として認められたケースと比較してゾウモウさんのケースは「かなり難民性が高く、これが認められないとすれば、誰が難民なのか」と難民問題に詳しい伊藤敬史弁護士は批判する。ゾウモウさんは仲間の在日ミャンマー人に高裁判決について伝えたところ「うそをついている」と思われ、信じてもらうまで時間がかかったほどだったという。

 それに先立つ九月十九日の高裁判決でも、八八年にヤンゴン民主化デモに参加したチョウモウさん(仮名)を難民と認めた一審判決が破棄された。同年には、ヤンゴン大学の学生だったチョウモウさんと一緒に活動した一人は、当局に拉致されたとみられ行方不明に。別の一人は当局との衝突で亡くなった。

 一審では、チョウモウさんとミャンマーで一緒に活動し、現在はオーストラリアに難民認定された同志が証人として来日。当局から迫害を受ける可能性が高かったチョウモウさんが、自宅に帰らずに知人宅を転々としていたことなど、難民認定に十分な証言があったのだが…。
旅券取得根拠に「政治犯」否定

 こうした二つの不可解な高裁判決では、いずれもその根拠として、九〇年代に国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者を務めた経験を持つ中央大学法科大学院の横田洋三教授の陳述書を採用している。

 昨年四月にまとめられた横田陳述書には「ミャンマーでは、政府が危険と考える(したがって迫害のおそれのある)政治犯に対しては、旅券は発行されない」と記され、東京高裁はそこから正規の旅券を取得できるのなら、迫害の危険性はない―と類推し、いずれの判決でも難民性を否定した。

 だが、実はこの横田陳述書には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウオッチから「実態に即しておらず、ひどい内容だ」との批判が以前から寄せられていた。
現実の「重み」見えず

 ビルマミャンマー近現代史を専門とする上智大学国語学部の根本敬教授は、横田陳述書をこう批判する。

 「ビルマでは、投獄された政治犯が釈放後に監視対象となっていながら、旅券を発行された事例はいくつもある。軍政の意図ははっきりしないが、軍政からみて不都合な政治犯を、国内に抱えているよりむしろ海外に出してしまおうとする傾向もある。陳述書は事実とは異なる」
パスポート重視 「認識が不十文」

 その上で陳述書の「ブローカーやわいろを受け取った役人を通してできることは(中略)旅券発給手続きを短縮することぐらい」とする記載についても「認識が不十分。旅券発行担当の役人がブローカーを兼ねることもあり、その場合は申請者が政治犯であっても、大金を積めば旅券は発給される。また担当役人が知り合いの政治犯を助けようと発給した事例もある」と根本教授は指摘する。
「難民性の事実、検討ずさん」

 実際に日本で難民認定を受けたミャンマー人の約九割は自己名義のパスポートで出国してきたという事実もあり、同じ東京高裁で争われた難民認定訴訟で、「横田陳述書の記載をもって難民該当性を否定することは困難」と判断した判決は少なくない。では、なぜミャンマー情勢が緊迫した九月下旬に、こうした横田陳述書に基づく難民不認定の判決が連続したのか―。

 「問題は二つの判決を出した第十五民事部」と話すのは前出の伊藤弁護士。「いずれの判決文も内容はずさん。難民性についての具体的事実の評価については、実質的な検討を加えることもなく、パスポートの発給をもって不認定としている」と指摘する。
高裁の担当部 「保守的、外国人嫌い」とも

 鈴木雅子弁護士も同意見だ。

 「逆転判決としては、極端に短い判決文。一審の難民認定判決を維持する高裁第二十民事部の九月十二日の判決文は三十ページ。これに対して、十九日の判決文は十ページ。別々の事件なのに、主要な部分がほとんど同じ文章。いずれの事件も最初に不認定を決めて、検討もせずにコピー・アンド・ペーストで判決文を作ったのでは、と疑いたくなる」

 「十五部にかかっては、民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんでも連れてこないと、勝てないのでは」とも。

 さらには、チョウモウさんの裁判中には、裁判官が「これから日本で何をしたいの?」と質問。鈴木弁護士は「裁判官は、どうせ途上国から働きに来ているんでしょうとでもいいたげな態度。難民事件に対する認識を著しく欠いている」と批判する。

 実は、十五部はブルドックソースに買収を仕掛けた米投資ファンドスティール・パートナーズ・ジャパンを今年七月に「乱用的買収者」と認定。これには「スティールは不当な要求を突きつけておらず、乱用的買収者とはいえない」とする識者が少なくなく、物議を醸したことがある。一部の弁護士の間では「保守的で外国人嫌いの十五部」とも呼ばれている。

 ただ、経済裁判と異なり難民認定裁判は生身の人間の命がかかっている問題。いずれの事件も上告されているが、伊藤弁護士はこう強調する。

 「本国に帰ったら逮捕され、拷問を受け、命を落とすかもしれないから難民申請している。こうした切迫した現実を裁判官はもっと理解すべきだ」
ミャンマー難民

 昨年、日本で難民申請した計954人のうち、ミャンマー人は626人。同年に難民認定されたのは全体で34人、うちミャンマー人は28人。前記以外に人道的配慮として33人に在留を許可した。

 これに対し、同年に米国では247人、ドイツでは130人のミャンマー難民を認定。インドでも311人、インドネシアでも92人を認定した。日本の難民認定数は他先進国と比べて著しく少ないため、国際的に批判されている。