ビルマのデモ参加者にとっての残酷な勝負の終わり


http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10051718883.html

10月16日の『ル・フィガロ』に掲載された(と思われる)記事。Merci beaucoup, PAGES D'ECRITURE

ビルマのデモ参加者にとっての残酷な勝負の終わり』


Cruelle fin de partie pour les manifestants birmans

Bangkok FLORENCE COMPAIN. Publié le 16 octobre 2007


Profitant de l'inertie internationale, la junte poursuit sa sanglante "normalisation".

国際的な無気力を利用して、軍事政権は血に塗れた「正常化」を続行する。


「1988年の民主化運動のように、『サフラン革命』は惨めに失敗した」、タイに亡命したビルマ人反体制派は確認する。「国際社会の介入もなく、ビルマは自己破壊的な痙攣状態を余儀なくされている」、バンコクに本拠を置く反体制派、ソエ・アウンSoe Aungは評する。

数千人の僧侶の行進によって生まれた希望から4週間後、ラングーンは(破傷風性の)強直性痙攣を起こしたかのようだ。暗い牢獄にはおよそ6000人の囚人が詰め込まれている。「特別法廷が判決を急いで下している」と、オスロに本拠を置き、ビルマ国内に情報提供者の豊富なネットワークを持つ反体制派ラジオ放送、ビルマ民主主義の声は報告する。デモ参加者は「破壊されるであろう裏切り者」であると繰り返す軍事政権は、仏教式に長寿を「叫んだだけの者に2年間の拘留」を独断で決めた。

今日、「ビルマの監獄には血が流れている」と、タイに本拠を置く政治犯援助協会の一員、Bo Kyi は説明する。「数十人が死ぬまで殴られた。民主化を求める1988年の国民的蜂起の元闘士13人は、8月に逮捕され、入院しなければならなくなるほどの拷問を受けた」。彼らは燃料費の眩暈がするほどの高騰に対してデモを主導していた。

ビルマではアウン・サン・スー・チーと同様に有名な反体制派、ミン・コー・ナインMin Ko Naingは既に15年の禁固刑に服していたが、死亡したとされる。そして反体制派政党NLDのメンバーの1人、ウィン・シュエWin Shweは、取調べの際に死亡した。夜間の一斉検挙は体系的だ。反体制派の要人6人も、今週末に逮捕された。

ビルマ国民は国際社会に賭けていた。しかしラングーンの事件に対する国際社会の反応はその期待に応えていない。国連特使イブラヒム・ガンバリのアジア歴訪は、「地域のパートナーの積極的な支援を模索する」が、始まりが悪かった。タイの首相Surayud Chulanontは、その政府が「ビルマ軍事政権に対して行動を起こさない」ことを予告した。タイは電力の30%を第一の貿易相手国であるビルマから得ており、「将軍たちとの建設的な契約の原則」で満足している。昨日(10月15日)、国連使節の出席の下でSurayud首相は、ビルマ独裁政権に対して少しも圧力をかけなかった東南アジア諸国連合ASEAN)と、隣国ビルマの天然資源へのアクセスを争う中国とインドとともに、多国間協議を提案した。


Achat de missiles russes

ロシアのミサイルの買い付け


ロシアも、それらしいことさえしなかった。反政府運動に対する弾圧を「嘆く」国連安全保障委員会による採決の翌日、空軍に連れられたビルマ代表団はミサイル防衛システムの購入について話し合うためにロシアに到着していた。とある週のこの訪問の予定では、ロシア国防省のインターネットサイトによると、空軍学校とdrones構想が専門のSokol研究所であった。

アメリカ合衆国欧州連合の制裁に関しては、限られた効力しかない。ワシントンはアメリカ国内にあるビルマの将軍の資産を凍結すると発表した。しかし将軍たちの預貯金は本質的にシンガポールの銀行にある。欧州連合に関しては、宝石、金属と熱帯の木材に照準を定めると約束した。しかし石油は対象でない。